アニマルエイドさんのブログより

http://ameblo.jp/animalaid-jimunikki/
ガリガリに痩せた猫が、6号を見つめてレスキューの車を懸命に待っている・・・その猫にすぐにフードを開けてやりたいのに、警察がつきまとってそれが叶わなかった・・・かわいそうでかわいそうで、猫たちがかわいそうでかわいそうで、どんなにフードが欲しかっただろう、食べたかっただろう、ついに来なかった悲しみ、寂しさ、それだけで生きる力が尽きたかもしれない、なんと哀れな、そして行けなかったレスキューの人たちがかわいそうでかわいそうでかわいそうでかわいそうで、どんなに辛かったでしょう、行ってやりたかったでしょう、気の毒で気の毒で、辛くて辛くて、意見を筋道立てて書こうと思うのに何も書けないでいる。

みんながこんなに無私無欲に、ただただ飢えと寒さと寂しさに苦しみ続け、力尽きていってる犬たちや猫たちをこんなに愛しく、哀れに思っているだけの行動なのに。

なぜそれが許されないのか、まつりごとというのはどうしてこうも冷たく惨たらしいのかと・・・気がつくと涙が次から次へと溢れ、親が死んだ時、夫が死んだ時とまた違った、でも変わりない重量感のある悲しみに突き上げられ突き上げられ、堪えようもなくこれを書いている。


黄色いリボンで行かない場合、夜間の活動にもなるでしょう。日中でも零下の気温、凍結した道路、夜間のそれは、危険の度数は何十倍、何百倍にもなりますね。どうかくれぐれも気をつけて!


※文章の一部を削除し、大分違う書き方にしました。自分が出来ないことは抑制するべきと思ったからです。こういう理性が働くことを自分で寂しく思いますが、現実を無視した願望に流れるのはただの妄想に過ぎませんものね。それよりも、出来るときに出来ることを黙々とやっていくことが大事だと、自分に言い聞かせています。