警戒区域の動物たちに思いを寄せつつ新しい年を迎える

明けましておめでとうございます。


私としては正直おめでたい気持ちは起きない。昨年アニマルエイドさんに同行をさせてもらって警戒区域に入り、飼い主、政府、自治体に置き去りにされ、どんなに飢えと乾きと寂しさに苦しみ、飼い主、人を待っただろう犬たち猫たちの力尽きてミイラのようになっていた姿を目の当たりにし、また100頭以上の牛が累々と死に絶え白い骨の花となった惨状に立ち、いかにノーテンキで無防備で頭の悪いお人よしの私でも、胸の奥、五臓六腑の筋の一本一本に言いようのない寂寥と虚無が滲みこみ固まってしまった。ぬけぬけと新年を祝う気持ちになぞなれるわけがないのだ。


だがそこに留まっていていいわけはない。置き去りにされた動物たちにとっては戦場以外の何物でもなくなっている、食べ物ひとつない無人の町を忘れ去るわけにはいかないのだ。あの町で、何匹の犬猫が生きて新年を迎えたのか。昼間はわからないが、夜になると信号機もつかない光のない町になるのだ。月や星が出ない夜の闇は、飢えと渇きの苦痛とひとしい、いやそれ以上の苦痛を与えるのだろう。


そうやって待っているだろう犬猫たちに、せめてわずかな食べ物を希望としてもっていきたい。虚無に沈んで行くより、希望のざわめきをもっていきたい。

ハッピーニューイヤー! と。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨年私が行った最後の給餌は27日、南相馬のまだ水に沈みそうになっている家のある地区だった。
そこで、比較的新しい猫の糞をひとつ見た。
そして、その地に車で降りた時、まるで「やっと来たんだねー、待ってたんだよー、見つけてー、わたしをみつけてー」と言ってるかのような犬の声がひびいてきた。

探したがわからなかった。見つけてやれなかった。この悔しさ、悲しみを天に訴えたい。だが何度天を振り仰いでも何をどう訴えたらいいのかわからず言葉も出なかった。

その寂しさが重く重く、時間がきて、最後のキャットフードをある家の玄関先に置く時、とうとう号泣してしまった。


もうこんな恐ろしいほど辛い思いをすることに耐えられないと思い、私は27日のこの日で福島に入るのをやめようと思った。
検問所にもどって別の車に乗っておられたMさんにそう告げた。


だが、もう行かないなんて、そんなことができるはずがない。無力な私のたったひとつのフードの袋が、もしかしたら、一匹の小さな猫を救うことになるかもしれないのに。


行くから・・・・・これぽっちの決心が、結局、何の力もない私の、”希望そのもの”なのだ。


はっぴ〜はっぴ〜 はっぴ〜〜〜にゅーいや〜〜〜〜〜〜♪