地震にまつわる

防災無線
防災無線はまったく聞こえない。昨日の夕方田圃道を歩いている時、防災無線がひびきわたって、この時はかろうじて聞こえた。かろうじて、というのは、声はろうろうと響くのだが、こだまするので何を言っているかは聞きとれ難いのである。
『村の人たちはこの手段で伝達し合って暮らしを営んでこられたんだなぁ・・・』と妙に感じ入るとともに、要するに伝達は、村の実力者の間でわかればいいことで、聞きとれない地区に住んでいる人や、耳の遠い人や、よそ者は、それだけの存在として扱われていたんだろうな、という理解をした。


四国の幼いころ暮らした私の村もそうであった。こども心に、肺病を病む人のいる家の人や、よそからきて村に住むようになった人たちは、村の運営に口出しすることは許されてないと見えた。
祖父が警官で退官したら村長にと言われていながら在任中に他界してしまったのだが、祖母はそうした祖父の立場を忘れず、誰彼に親切で、病気の人やよそ者と言われる人と屈託なく付き合っていた。それでも、村の雰囲気にさからわないでいるように感じた。

だが従兄弟の代になった今は開かれて自由な感じがする。新しい住宅もできて、よそから来た人たちも多くなったが、従兄弟夫婦の口から、その人たちを排他するような言葉を聞いたことはない。
私の父の納骨に、久しぶりに郷里に帰った折り、従兄弟の奥さんが、「ここは相変わらず田舎でしょ」と言うので、「そうかなぁ、私が今住んでいる所よりずうっと開かれて自由な気がするけど。よそから来た人に、あんなやつらが住み着いて迷惑だ、なんてこと言わないでしょ。私たちの地域はそう言われているらしいのよ」と苦笑すると、「あ、そういうことはないワ。私ら、よそから来た人に刺激受けてええ言うとるよ」とさっぱりと答えた。

『よそ者が来て迷惑』と言われているらしい、というのは、複数の女性から聞いた言葉だ。こどもさんが村の学校に通っている時や、村の祭りの当番になった時などに実感することがあったという。

迷惑がられているよそ者の筆頭は私だということは20年間感じ続けてきた。寺のご住職にその辛さを訴えたことがあったが、まるで私が人の言動にいちいち目くじらをたてる人間のように認識されて、訴える相手ではなかったと悔やんだ。
猫や犬の問題をいちいち目くじらをたてられ、勝手な決めつけと誹謗で苦しみのあげくせめて親鸞上人の教えのもとにおられる方にわかってもらいたいと、思い切って思い切っての訴えであることだとわかろうともしてもらえなかったのだ。私も勿論どの人にも心の壁を開くべきだろうが、頑として開かぬのは自分たちもである、とも気付かれることはなかった。虚しい哀しみの深い日々であった。


今回の地震での連絡事項を無視されていると感じる、というのも何人かの共通認識である。
でも、このことはもう気にしない。私個人としては、現在はメールという手段を使える人には使い、そのほかの人には自治会の組織に従って電話連絡などをすれば、全戸に必要な事項がいきわたると思うのだが難しいのだろうか。


■水
昨日は突然水が出るのが6時から7時までのみという事態になり、車にはガソリンがなく、また経済状態もチョー乏しいのでとうとう水なしの一日になり大弱りだったので、今朝は4時に起きて水の確保にそなえた。
6時前から水が出たので有難かった。仏前の水をとりかえ、森の猫たちのために森に水を運ぶ。それからうちの犬たち猫たちの水を継ぎ足し、やっと自分のためにお湯をわかし、ご飯をしかけ、煮物用の水をなべにいれていく。バケツにも汲み置く。
7時には準備万端、「今日はOKだ♪」とほっ。

どうも今朝は8時近くまで水が出たらしい。それを知って納得。7時と言えばまだこどもたちが学校に行く前でしょ。水を止めるのなら、時間を後ろに少しずらして、こどもたちが出てから止まる、というようにしたほうがいい。こどもは学校に出かける寸前にトイレに行ったりするでしょう。


■原子炉の爆発
四国の出版社、創風社出版の大早直美さんたちが、原発について相当以前から勉強され反対の運動もされている。私もちょっと参加していた時期があって、彼女たちが書き続けてこられたメッセージや資料を読んできた。その中には、地震がおきたらどういう危険がおこるかなどのこともよく調査されて詳しく述べられていた。
今回、その通りのことが起こっている。あらためて大早さんたちに敬意の思いがわく。

これからどうなるのか。電気は重要だ。ただやみくもに反対と叫ぶのではない。どうしたら安全な電気が使えるようになるのか、一人ひとりの意識が大事だとつくづく思うのだ。


菅首相 政府は頑張っておられると思う
テレビを見ていると、司会者やキャスターが非難めいたというのか努力を認めない発言をされることがあるが、私は首相も政府も地震に関してはよく頑張っておられると思う。また今は批判は足を引っ張り、救援にも影をおとすような気がして、もし鋭い人が不備を見つけたとしても、批判ではなく提言をして、応援している姿勢でいうほうが、被災者の方々にも役立つのではないかと思えてならない。


■祈り
とにかく一日も早い復興を祈りたい。
犠牲者の方々に心から追悼の祈りを。被災された方々に応援を。

送迎バスで亡くなった幼いこどもたちに祈りを祈りを祈りを。
こどもたちのお母さんに祈りを。
お父さんに祈りを。
ご家族に祈りを。