いいお見舞いになった

3月3日、だてさんのお見舞いに、真春さん、K子さんと三人で行く。真春さんとK子さんは、だてさんと互いに地域的に身近な距離におられることと、芸術性や生き方への価値観を尊重されあう一致性があったのだろう、森のおくのミュージカルが終わって劇団を解散した後も、いい交流をもたれていたのだ。

それだけに今回のだてさんの受難への衝撃が大きく、簡単に見舞いに行く気持ちになれないように見受けられた。
そのことが私はずうっと気になっていた。だてさんはきっと待っていらっしゃるだろう、という気がかりと、いつか衝撃の線を越えて、思い切って見舞いに行き会われたほうが心が癒されるはずだ、という思いだった。それによって以前に増して互いに必要ないい形の交流がはじまるという確信のようなものもあった。

時は春間近のまさに希望・復活という名に相応しい3月に入った。だてさんの様態も著しい回復をみせておられる。そこで1日に私が見舞いに行った時に、「真春さんとK子さん、誘ってくるね」と言うと、彼は澄んだ笑みを浮かべて頷かれたのだ。


そして3日に三人で伺ったのだった。・・・この日、持って行ったラジオがうまく聞こえなかったり、置時計の電池を取り換えたらなぜかうまく作動しなくなったりして、私たちはああだこうだと騒々しくしてしまい、だてさんにまだ明確に言葉の出せない口を一生懸命に動かして、「うるさくて疲れた」と言わせるような仕儀になってしまったのだが、こうした意思表示ができるまでになられたということは素晴らしいことだと、病室を出てから三人で喜びあったのだった♪

ちなみに、数日前に絵本を読んであげていた時も、その時はまだ手に大きな手袋をはめさせられておられたのだが、その手袋の手でハタリと絵本の画面をおさえ、「もういい」と意思表示をされ、『おおー!♪」と回復が順調であることを喜んだのだった。


ほんとの春はもうすぐだ。みんな幸せになろう。傷ついた人も。生き方下手な人も。生き物たちも。