龍馬伝 最終回「龍の魂」

見落としたり腑に落ちないと感じた回はあったが、全体を通して深く感動した龍馬伝だった。下にツイッターで書いたものをもってきているが、私は龍馬が何百年、何千年も人間の深いところに影響しているイエス親鸞などの聖人と重なって仕方がなかった。イエスにしろ親鸞にしろ説法や経を唱えて人々をかえたのではない、人のなかに生き、命をかけて行動した、その根底にある天につながった愛のようなものに、自由に慈しみ深く従い命をかけて果敢に生きた。それらは信仰という形で残るとは限らず、龍馬は龍馬として永遠に人間に影響し続けるのだろう。

演出は一貫してそれを描き、出演者の全部がそこに命をみて演じ切った。・・・というのが龍馬伝全体の感想だ。
ラストに中岡慎太郎が、○○に誰が入るかと訊き、龍馬が、「みんなぜよ」と答え、その意味と深遠な価値を中岡が一息に理解する、あのシーンには慟哭してしまった。龍馬は一貫して、イデオロギーに惑わされずひとりひとりの心・魂に向き合い、どんな立派な理念よりも、何の知識も力もないひとりの人間の悲しみ・怒り・心情に心を開いて受け止めた。だが龍馬の心に胸を開いて向き合うものはなかなかいず、龍馬のパワー、力を怖れ、常に疑念をもってみられた。
最後に、中岡が龍馬の全てを理解する。・・・・未来に希望があるとするならこれこそなんですよね。

今の日本の世の中は、なんでも自由にものが言え、なんでもできるようではあるけれど、実際は、ひとりひとりが壁になっている不自由と恐怖に満ちた社会にしてしまっていることに殆どが気づかない。弱い立場のもの、少数派の立場のものを踏みつけて出来上がっている世相は、まさに上士と下士の社会そのものなのだ。

ツイッターより転載
龍馬伝の最終回「龍の魂」と観て、演出が現在・未来に見通しているものがはっきりわかった気がする。この人は一貫してイエスとイエスを犠牲にして在る人間の姿を描き、それでも絶望に留まっていないと顕したかったんだ。刺客が押し入る寸前に中岡がついに真に龍馬を胸の扉を開いて向かい合う。忘れない