9年目の9・11  コーランを焼く計画

昨日は9回目の9・11だったんですね。あの日の恐ろしさ、それからそれ以後いろいろな人が言っていた”9・11の真実”に、真偽はわからないけれど別の恐ろしさに震え上がったことがまざまざと蘇ります。
当時、森のおくというミュージカルの準備中で、稽古が終わった後、スタッフやキャストの人たちと稽古のことよりテロへの恐怖や憤りや社会への疑問などの話しばかりしました。心がそこに固まっていたのです。

そして9年目の9月11日を前に、教会の牧師がコーランを焼く計画を立てていたそうで、また恐ろしさがあらたにこみ上げます。
人間はなかなか憎しみを乗り越えることはできない、という証しをつきつけられた気がします。それとともに、何年も前に受けた無念の思いを消すことができず、ことあるごとに思いだし、悔しさと悲しみできりきりしている自分であることに茫然とする思いです。


そうした自分も振り返りながら、2001年9月11日以降に、あるサイトに投稿した必死の文章や掲示板の書き込みを読み返してみました。
自分の稚拙さは恥ずかしいですが、感受したことを懸命に書いています。
http://www1.odn.ne.jp/~kaze2005/00freefloor.html