教会

こうみえても私はプロテスタントの教会で洗礼を受けたクリスチャンである。でも人間関係に躓き、なに? この人たち? ゲゲ、と感じること多々あって何十年も教会に行ってない。要するに異端者である。
教会のタダシイ人たちにそりゃ憎まれた。小さな町でそりゃひどい中傷もされた。タダシイ人はタダシイのでタダシイ人が群れるとそりゃあ怖かった。マジで教会は病み苦しむ人によってたかって水をかけるところかと思うものがあった。生涯四番目の苦しめだった。


最近、いつも通る道筋に、教会の看板があるのに気がついた。二十年間も気づかなかったので何か惹かれた。

一度行ったが音楽会の会場かと思う節があって入りそびれ、先だってやっと門を叩いた。

絢爛豪華な礼拝堂には、何体ものマリア像が花々に埋まって並び、スペインのマリアさま、ブラジルのマリアさまと、説明を受けた。どうしていいかわからず、困って、逃げるように出てしまった。

シスターもそういう私に困られただろう。
そこの教会は、私が休める小さな椅子はなかったが、日本にきて暮らしている人たちを支えるために大きな働きをされているのだと思った。

そのうち、はっきりわかるだろう。私を呼ぶ声の所在が。こんな異端の私でも。