鳩山首相の辞任と次期選挙不出馬

辞任演説とその後の記者会見をテレビで見ていて、鳩山首相の底知れぬ深い孤独感と虚しさをかみ締めていらっしゃるのが辛くてならなかった。

言質がよく変わることなどを知ると頼りない首相だなぁ、これでいいのかなぁと思いながらも、ご夫妻ともに人間として裏表がなく、本当に友愛の世界を理想とされている方なのだなぁと思うことが何度もあったので、ここ最近のやめろコールのような流れがちょっとひど過ぎるのではないかなぁ、今の日本の土台を作りあぐらをかいてきたのは誰だったんだと思っていた。
ただ、普天間問題では沖縄の人たちの長年の苦難を考えると、辺野古に戻ったのは許しがたく感じていた。

辞意演説を聴いてこの問題をあらためて見つめると、この首相が、そうやすやすと辺野古にしようとされたはずがない、どれほど努力されて、それでもこうでしかなかったということだったのだろうと思い、私などの浅い意識でエラソーなことを思ったなぁと恥じている。

といって、やはり沖縄でよかったはずはなく、鳩山さんの話からずれるが、大阪の橋下知事ひとりが、「沖縄に押し付けたままでいい問題ではない」ときっぱりと発言されたのは思わず涙した。

首相の辞意表明からなんだかすっかり気持ちが沈んだ。いじめ追い出したみたいな気持ちがする。

自分のことを引き合いに出すのは恐縮だが、猫や犬を捨てにきつづけて、こちらの世話や経済の限界がこえ、そとめに環境が悪くなると、「これじゃ猫や犬がかわいそうだ、それみろ」と言い立てる人たちのいじめのレベルと同じだ。それをいじめと気づかぬところも同じだ。

しっかりとした見識をもって批判するのは正しい。だがその批判の根っこを公正に義をもって洞察する、という前提がなくては、批判する側の卑しさ、貧しさを露呈しているに過ぎないことになるのだ。

私たちはこうしたことを自分に問い、批判をしてきたのだろうか。
首相は、「国民が聞く耳をもたなくなった」と言われたが、その言葉が痛く切ない。