春 近いのか遠いのかわからぬ日の雑記

ツイッター
最近、あちこちでツイッターの話題を見たり聞いたりする。
ツイッターってなんだ? と思い、知るには中に入ってみるのが一番わかりやすい、と思い登録した。パソコンがヨレヨレなので登録までこぎつけるのに時間がかかり、やっぱ今は無理じゃ、と諦めようとしたらつながった。

まず【今なにをしてる?】という問いに答えねばならないようだった。
なにしてる?っていわれて、【パソコン見てる】という答え以外の答えがあるの?


とにかく現在のパソコンでは無理とわかった。すぐに固まる。『龍馬号』が働いてくれるようになるまでおあずけだ。


■夢の記述
夫の四十九日を迎えた頃の夜、何か不思議な重い空気が部屋でうねっている夢をみた。あれは何だったろうと今も考えているのだがわからない。悲しみとか怒りとか不安とかといった感じのものはなかった。かといって決して明るい爽やかなものでもなかった。とにかく重たかった。粘土で何かを作ろうとしてこねる、あの時に味合う重さだった。


■昨日のTVタックルは「孤独死
田嶋陽子さんや勝間和代さんが表題をテーマに討論をされていた。
内容についてはどなたの意見もどうということはなかったのだが、ちょっと思ったのは、勝間さんという人が、なぜ社会(世間)にもてはやされているのかわからない、ということ。経歴で見るほど頭のいい人とも思えなかった。・・・これは多分、『孤独死』というものが勝間さんには遠く無関係な事柄であって、彼女自身の魂に届いていないからだろう。

そこへいくと、田嶋さんは、独特の人間の重さをもって魂で受け止めておられる、と思った。
私の死は、野良猫や犬の死と同じになることはわかっているが、田嶋さんのような人間が世界のあちこちに生きていると思うと、なにも寂しくないね。


ふと思い出した。大分前、夫がまだ歩けて、でも認知症は進んでいた頃、夫をある介護施設にショートスティをお願いして父の病気介護に他県に通っていたのだけど、当時預けていた施設もどこも、言葉では立派な理念を表し優しげだった。
ある日、その施設に夫を連れていったら、日頃いかにも理想的な優しい論を口にされていたケアマネさんしかいなかった。私は父の病院に行くのに急いでいたので、当然そのケアマネさんに夫をお願いすればいいと思い、「じゃ、よろしくお願いします」と言いながら夫の手をその人の手に渡そうとした。夫は歩けてはいたが介助が必要なので当然受け止めてもらえると思っていたのだ。
そのカエマネさんは、一瞬、自分の手をひかれた。認知症の夫の手が気落ち悪い、と言われたと同じであった。

こういう人のいかにもな論理が日本に溢れていて、その出で立ちの美しさや肩で切る風に寄っていく人々でひしめいている。
田嶋さんという人は、そういうなかにいて、独り闘っている人なのかもしれない。・・・そんな気がした。


■コメント欄
パソコンがいつぷっつり閉じるかわからない状態なので、コメント欄を閉じてしばらく経つが、この間に、「コメント欄開かないのですか」と二通の問い合わせメールがあった。コメントは少ないので、開いていても閉じていても同じだと思っていたのだが、同じなら開いておこうかという気になった。
というわけでまた開きました。承認制ですが。中途半端ですみません。
返信しないままパソコンがだめになる可能性大ですが、そのときは悪しからずお許しを。