気になる・・・自民党総裁選にまつわること & 千葉幼女殺害容疑者にまつわること

テレビのニュースで観たのだが、自民党総裁に立候補されている河野議員が、「私の推薦人に、『河野を推薦するな』と言った人がいる」として町村議員を名指しされ、それに対して、町村議員が鷹揚に笑いを浮かべ、「河野議員は誹謗中傷をする。人格を疑うね」という意味のことを言っておられた。
このことについて、テレビのコメンテーターが河野議員を「人の悪口を言うのではなく、政策や目標について述べるべきではないか」という感じの批判をしていた。


私はこのことがとても気になる。
河野議員は誹謗中傷も悪口も言ってない、と思うのだ。もし、町村議員が、推薦するな、と言ってないのに言った、と河野議員が言ったのなら、誹謗中傷になるだろう。だが、河野議員に限らず誰でも、総裁選の公開討論会の中で、そんな幼稚な捏造をするはずがない。・・・このことを前提に私は気になるのだが、自民党にはこうした”つぶし”がこれまで通常にあって、河野議員は、こうした体質こそ、もうやめよう、なくそう、清新な自民党にしよう、という思いの演説でなかったのか、と。そしてその思いの中には、自分をつぶそうとして派閥の力のもとで裏の工作をされたことに言わずにはいられないやりきれなさ、憤りがあってのことだろう。
それを、「誹謗中傷をして人格を疑う」と自分のしたことなど無かったことにしれ〜っと押し切ろうとする派閥の長。


自民党が腐っていったのは、こうした個人個人を大切にしてこなかったところにあったのでしょう。
そしてこうした形の図は、巷にもあふれている。そこそこの規模の団体の定番になっているでしょう。個人にもある。自分こそ他者を誹謗中傷の限りをしておきながら、そのことで傷ついた人間が怒りや悲しみを出すと、それをもって自分が中傷誹謗されたとわめきちらしつづける人。・・・残念だが、善なる世間の人々は必ずしも、洞察力を磨くよりも、目の前の利益や擬似正義に惑わされやすい。

河野議員の闘いは、いろいろな意味ですごいことである、と私は思う。



もうひとつの気になる、は、千葉の母親の勤務先を出た後殺されて道端に横たわっていた事件の容疑者のことだ。
先日のニュースによると、この容疑者は、知的障害があり、なんでも相手にあわす傾向がある、殺害の自供も、捜査官の誘導のままに、事実と違う方向に流されたのではないか、と弁護士が捜査のしなおしを求めている、また自供通りに容疑者が実行することは不可能に思えることもある、ということである。


私は、昔幼稚園に勤務していた時、知的障害と思われるこどもと接したことがあった。その子が、先生やともだちの言葉に添う言動をすることがとても多かったのを思い出したのだ。
その子の性格は心優しくナィーブで素直で、他者の言動に添うのは、利益を求めてとか、ずるさによるものではなく、相手の喜びを自分の喜びとする、と見えた。
また、認知症の夫は、脳の検査で明らかに疾患が見えるのだが、そうなってから、夫は、医師、看護士、施設のヘルパー、自分に影響のある強い側の人の言葉に必ず、「はい、そうです」と同意する傾向が出ている。


トラウマなどで精神的に問題を抱き、他者に同意することで自分を保つ、という場合もあるだろう。もしかしたら、烈しいトラウマが脳そのものに影響することもあるかもしれない。
この事件に対して弁護士が疑問に感じられたのなら、充分な捜査のやりなおしをするべきだと、素人の浅知恵であると承知しながらも、私は切に言いたい。
自分を守る力のないもの、守るすべを知らないものを守るのは、”真実”しかなく、その真実をつきとめるのは、その場にいる関係者の”やるべきことをやろうとする心”でしかないのだ。