大河ドラマ「天地人 二つの関が原」

殆ど観なくなってしまった「天地人」。それでもたまに距離をおきながら観ていた。距離をおくというのは感情移入ができない、という意味である。無理に感情移入をしなくてもいいのだけど、私にとってはテレビドラマはある程度は感情移入ができた方がストレス発散になるし気持ちも和み、それが必要なのである。


天地人」は演出に疑問があってどうしても距離を感じるのである。人間の描き方があまりに画一的でしょ。歴史に登場するような人物なら、もう少し影も光もあっていいんじゃないかな、と型にはまり過ぎた描き方にいらいらするのであった。


でも石田三成は家康を画一的なワルモノに演出されたおかげで、彼の苦悩や立場や歯車の狂い方がよくわかっていい。これまでの大河の中では、家康を偉人として描かれることが多いので、石田が義の人に見えず小人物に思えてならなかったのだ。
天地人の三成は義を知る清廉潔白な若者という描き方で、しかも小栗旬だから三成が際立って素晴らしく伝わってくる。
おちのびて岩穴に隠れている時、水滴の音がして水があることを察知し、そこに這って行きむさぼり飲もうとしたその瞬間、雲間から出た月の蒼い光が三成の顔を照らす、あの場面、三成の魂をもあらわして美しく哀れだった。