今朝の決意

ナアンチャッテ。決意というとちょっと違うけれど、”無理はやめよう”と。
今の時間は夫の注入をしている時間だけど、昨日からショートスティに行っているので自分の時間としてこうしてパソコンを開いている。こうしている間も、あれをしておかなくては、あれもなんとかしなくては、と家事や暮らしのことでいっぱいである。この急く気持ちが”無理”なのだとつくづく感じる。だからこの”無理”から解放されようか、と。


というわけで、今日はこれから猫たちに朝ごはんをやって、そのあと、夫を迎えに行くまで、ずうううううううう〜〜〜〜〜と寝るゾ。ほんとは午前中、大事なしなくてはならないことがあるのだけれど、それもやめる。とにかく休みたい。


こんな”決意”をしてあらためて自分を振り返ってみると、私って人から勝手に何かを決め付けられている、何もしていないのにしているように決め付けられている、と感じることがあると、それにとらわれて、そういう決め付けをといてもらいたい、という思いに苦しむんだな、とわかる。


人の多くは、真実と称して、実際は、人や事柄や物事を、自分が決め付けた通りにしか見ていないものなのですね。そういう意味で、人は誰でも、”壁”になり得る。・・・・・他者のことを言ってるのではありません。自分のことを言っているのです。自分が壁に圧迫されて苦しむその苦しみより、自分自身が壁になっているその苦しみの方が深い。(息子や夫に対してまさにこうだ)・・・この苦しみの呪縛は、自分の正当性にしがみつこうとする自意識や自尊心に固執する間は決して解けないゾ。こうした最もやっかいな自意識や自尊心への固執こそ、”無理”の最たるものだゾ。こいつをふううと肩からおろそうや。天は公正だ。

では、お休み・・・・・・。