「ぶたの一声 仏教は効くか」より

矢玉四郎さんの「ぶたの一声」が更新されてるようなので早速拝見した。


映画「禅」に触れておられ、【世間的な情ではごまかしの対処しかできないことを示している。】と書かれている文があった。
http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/


深いところで納得するものを感じた。
”世間的な情ではごまかしの対処”が、愛とか思い遣りとか言われていることが多く、時にはそれを押し付けられることがある。児童文学の世界でもキリスト教会でも、私が求めて入ったところで、その壁が結構厚くどうしようもなく感じて結局離れていった。それはそこの人たちの善意や優しさや思い遣りを足蹴にすることであったのだろう。随分ひどいことを言われた。汚名もいっぱいつけられた。わざわざ陥れられたこともあった。その人たちと、その人たちに従う人たちは、そうするのが【正義】だと信じているようだった。私をそういう人間だと見下し嘲笑するのが、自分たちは正しく生きてる人間と確認し合っているように感じるほどであった。


そうしたことに長い間拘ってきて、人の何人かに唾を吐くような思いをもった。実際、パソコンを手にするようになって、日記やブログで、その人たちを蔑視するようなことを書いたこともあった。憤怒をむき出しにしたこともあった。


今は、違う。どう違うか、うまくいえないが、平易にいえば、これは団栗さんのブログでコメントで書いたこともあるが、「自分のしたこともしなかったことも、自分が思ったことも思わなかったことも、天にはわかっている」ということだ。
たったこれだけの思い。これだけでよかったのだ。生きてこれた。