困っている人に

今日の昼間のことである。犬が騒ぐの玄関を開けたら、熟年の女性が立っておられた。
その方は感じのいい笑顔で、「地区の民生委員なんですが、困ってる方にこれを」と、金一封の袋を差し出された。


実はこの金一封は夫が要介護4になった年にその年の民生委員の方が持ってこられ、固くお断りしたのである。その時の私の取り付く島のない言い方に、その方はいたく傷つかれたのだろう、顔をこわばらせて帰られた。以後、何年もそういう方がうちに来られたことはなかった。
だから、今日来られたのは数年ぶりであった。


Sさんとおっしゃるその方は、私が以前にきつく断ったことを聞き及んでおられたのだろう。言葉のひとつひとつに、『受け取ってください!』という熱意があった。
私はそのお気持ちと金一封を素直にいただくことにした。Sさんが本当にほっとされていたのが伝わって、これまでの自分の態度を申し訳なく思ったくらいであった。


思えば私も年をとったなぁ。
昔、若くて、いろいろなボランティア活動をしていた頃から、『困っている人にしてあげる』という視線になることをとても戒めていた。相手の方に、「困ってる人にこれを差し上げる」という言葉を出すなど論外だった。
数年前、当時の民生委員の方が、「困ってる人にあげるんです」と言われたことに、複雑な嫌悪感を覚えて、まるで片肌脱いだような勢いの拒絶をしたのであった。
今日見えた方も同じ言葉を言われたのであったが、私は何も拘りを感じなかった。そのことが、年をとったなぁと思った。これは諦めとか馴れ合うというものに繋がる年をとったではなく、いい意味で『やっと、相手の方の立場を認めるようになって、大人になったなぁ』という思いである。それから、自分の意識や視線に同じものが充分あることを隠さなくなったというか、自分を戒めるって思い上がりを、苦笑とともに認められるようになったっていうか。


Sさんの人柄のせいかもしれない。これが人を見下したような視線を感じたらまた違ったかもしれない。・・・この相手の方の人柄を認められるようになった、ということが大人になった、ということである。


でも・・・こんなこと、四捨五入したら70歳の人間のいうことじゃないね。ほんとに精神年齢低い。