深い河

今日、図書館に紙芝居を借りに行った。来週、ある小学校の動物飼育係をしている生徒たちに、動物の話しをすることになっていて、その時紙芝居をしようと思ったのだ。
紙芝居の台とともに何冊か借りて帰ろうとしたのだが、急に、『遠藤周作の”深い河”を借りていこう』と思い立った。


今、それを読んでいるところだが、何と言うか、友達にあって話しをしているような穏やかな心地がしている。
私は子供の頃、一人っ子で、大人たちから、自己主張の強いわがままなところのある子、と思われていたようだが、実際は内向的で社会性の乏しい子供だった。一緒に遊んでいた子はいたのだが、自分的には、「本が友達」だった。


十年前ぐらいだったか、ある本を書いて出版したあとに、郷里の四国のある学校で、小学高学年の生徒がかなり集まっているところに急に呼ばれ、何か話しをしなくてはいけなくなった。
本当に突然のことで、何も考えていなかったのだが、「本が友達だった」ことを思い出しそれを話した。
「本をたくさん読んで、それの内容がどうであったか、どういう人物が登場していたか、などを知識として覚えておかなくていいのです。面白かった、とか、悲しかった、とか、おかしかった、とか、そんなことを自然に感じたら、それは本と友達になったことなのです。それでいいんです。何年も経って、何かで苦しみを感じて、心が弱くなった時、この友達は必ず助けてくれます。本はそうなのです」と。


だが最近、本を読まなくなった。友達をおろそかにしていると同じだ。だから、つまらぬ目にあう。・・・とそんな気になるくらい読まなくなったなぁ。