エジプト

深まっていくばかりのエジプトの混乱のさまをニュースで見ながら、現政権が誕生した(※)ばかりの頃、6歳と4歳になったばかりの息子をひっかかえてカイロに行った時のことを思い出す。
ピラミッドを見に行った時、ラクダを引いた男性に何かを話しかけられた。ラクダに乗らないかと言っておられるようだったので、私は手を横に振り、「ノーサンキュー」と答えたのだが、その男性は私の断わりには無頓着な風に、長男に向かってラクダの背中を指差した。長男はまるで男性の言葉が完全にわかったかのように、「のる、のる!」と言いさっさと乗ってしまったのである。

そしてラクダはテクテクテクテクと歩きだし、どんどん遠くに行ってしまったのである。なんでそのまま遠くに行くままになったかというと、通訳をみつけて、「あれはなんだ?! どうしたら取り戻せる?!」と半ばパニック状態で確認していたのだ。やみくもに騒いだらよくない、とにかくスムースに解決する方法をとらなくては、と焦りながらもそう思ってのことだ。

「お金だ、エジプトのお金かドルを持ってるか?」
私はどちらも換金しておらず、円があるだけだった。誰かにその場で換金してもらいたかったが、言葉が通じないので時間がかかることが予想され、実際、長男のラクダはもう砂漠の砂の遠くに小さくなっている。
私は通訳にその場に止まっていたジープに乗ってもらって飛ばした。本当に怖かった。あんな直接的な恐怖を味わったのは後にも先にもほかにない。
追いついて、財布の千円札をあるだけ出しかけたら、通訳が、「彼らはそれが狙いだから、そうしてはいけない。ますますエスカレートする」という意味のことを言い、私の財布をのぞきこんで、百円玉をいくつか取り出し、「日本のお金は得する」と、私のためにだろうまず日本語で言い、あとは私のわからない言葉でラクダの男性に何かを言った。

男性はちょっと不満そうな表情になったが、すぐににやにやと笑って長男を渡してくれた。
長男はまったくケロリとして「おもしろかった、バイバイ」とラクダに手を振ったっけ。

こんな出来事もあったるカイロだったが、ピラミッドのそばには観光客に物をねだるこどもたちがあふれ、街中の電車には乗りきれない人々が落ちそうにぶらさがっていた。電車をおいかけて走る人もいた。
私は戦後の日本の様と重ねて、これから人々の暮らしがよくなっていくのだろう、と思っていた。
通訳も、この人は日本人だったが、「政権がかわり、エジプトはよくかわっていくと思いますよ」というようなことを言われた。


あれから四十年。エジプトの万民はずううううううっと苦しいままだったのか・・・。

※【現政権が誕生した】と冒頭に書いていますが、「アラブ連合共和国」が「エジプト・アラブ共和国」となった(改称)の間違いです。1970年にナセル大統領の死で、サダト大統領政権にかわり、エジプトは希望と不安が混在していた時期で、たとえばホテルの中でも機関銃をもって兵士が見張りにたっていました。