眠くならない夜の雑感

■帰宅したら、裏のお宅の高齢の方が、待ちかねていらしたように、「荷物、預かってる」といわれる。10キロの箱が10個である。つまり私は、そこのお宅から100キロの荷物を運ぶはめになった。その高齢の方が、「手伝う」と箱を一個持ち上げられたので、私はこんな焦ったことはない。(いや、もっと焦ったこともあったかナ)
おおあわてで、「と、と、とんでもない! 怪我をされたら大変です!!」と断って、考えてみると、私も充分高齢だが、頑張って一人で運んだ。
クタクタになって玄関でへこんでいると腹が立ってきた。運送会社の人も考えて欲しいゾ。よそのお宅に預けられてしまったら、こんな荷物を家まで運ぶことになって大変ってことを、ダ。最近の配達はよそに預けなくなっているのに、ほんとにどうしたんダィ?


何の箱かというと甘夏みかんを九州の水俣から取り寄せたのだった。継母や夫のことやいろいろお世話になっていながら何もお礼ができないでいる方々に、春のビタミンCを送ろうとのことであった。預かってくださった方には、その場で箱を開けて差し上げた。シュワ〜〜〜〜とすっぱい香が漂って、疲れがとれるようでありました。


WBC快調。私はいまだに、N選手がおちたのが納得できない。でも試合は観る。


■アニー基金から通信が届く。きっぱりとした文面で、こどもたちのために骨身惜しまず頑張っていらっしゃる様子が伝わってきた。頑張る人は頑張るんだなぁ。すごいなぁ。私は取り組まなきゃいけないことがあるのに、グズグズと書かなくてもいいこんなものを書いている。


■何年も前になるが、公民館で手話を習っていたことがある。その時同じグループにいた方と、病院で再会した。一ヶ月ほど前のことだ。
その後、時々ホールでおしゃべりをする。その方はお母様を介護されていて、私と会うたびに、「私がいると母が我が儘になって困るのよ」とため息をつかれる。今日の午前中、その方に甘夏みかんを差し上げた。「わ〜、嬉しい。すっぱいものが大好きなの」と言って受け取ってくださった。そして夕方、つみたてのほうれん草を下さった。バターいためにしていただいた。とても美味しかった。


■昨年からいくつかのお寺参りをしていて、その専用のブログまで作っていた。夫の入退院があってそのまま忘れたようになっていた。
昨日行った古河市磯部にある勝願寺というお寺にしても、眞理子さんから二年前ぐらいに聞いていたことだ。
それが昨日、誰かか何かに背中を押されたような感じで行ったわけだが、今日、お寺でいただいたびっしり小さな字のつまったはがき通信を丁寧に読んでいったら、正岡子規のこんな言葉が書いてあった。

悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということは、如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。

しみじみと嬉しくなり、涙が出そうになった。自分自身にとっても嬉しかったのだが、あの凄絶な病に苦しみぬいておられた正岡子規が、このような悟りに生きておられたのかと思って嬉しかったのだ。