継母と私
継母のたったひとりの身寄りだった弟さんが亡くなった。
私からは義理の叔父さんになるのだけど、私は殆どおじさんと呼ばなかった。ただ昨年の夏、継母の家で最後に会った時、「おじさんの好きなお酒をお土産にもってきました」とお酒を差し出したら、「人からぼくにお土産だといわれたのははじめてだよ」と嬉しそうな笑顔をされた。その時、『私を嫌っていつも不機嫌なのだと思っていたけど、私の方がもっと親しみをもっていたら身構えられなかったかもしれない』と思った。
そのおじさんが亡くなったと私に告げた時、継母はこれまでおじさんの悪口ばかり言ってたのに、ほんとに寂しそうだった。
帰りがけ、継母に、「私、これから、おじさんのかわりに、たびたびお母さんの顔見に来るね」と言ったら、継母は、「ほんと!? きてね」と応えた。
継母はいつも私が来るのは迷惑そうだったし、「また来るから」というと、「あなた忙しいんだから、そんなに来なくていいわよ」と言っていた。私は時々、『もう親だと思うのやめたいな、この人の娘であろうとしているの疲れる』と思ったりしたものだ。
『これからは娘であろうとしなくても娘なんだ・・・』と思う気持ちがこみあげた。
しばらく前から気持ちに傾いていて、私自身、継母に向かい合うのは苦痛でなくなっていた。
叔父さんの死が決定的に私に継母に心を開かせた。継母もまたそうなのだろう。
継母が私の父と結婚したのは私が二十歳の時だったから50年前だ。
50年という月日が私たちには必要だったのだ。神様って、さすが、気長がだよね・・・。
いまだに迷い子の私だけども迷わないことがある
吉本隆明の本を読みなおしていると、彼の清明さにものすごく癒される感があって、『こういう人と同じ地平にいたんだ、よかったなぁ』としみじみ思ったりするんだけど、そのくせ、自分の迷い子ぶりを思い知らされてしょぼんとするものもある。
でもそんなすぐ迷路におちる私が迷わないことがある。
それは福島に置き去りにされエライ人々から”餓死していい”と決めつけられている動物たちに、ごはんをはこばなくちゃいけないってこと。きみぃ、ナンタラカンタラ人のすること人の思いにいかにもないちゃもんつけるきみぃ、もんくあっか?!
それから、人生に疲れ切った”ともだち”に、なんどもなんどもいつもいつも会いに行くこと。それしかできないことに泣き叫びたくなるほどつらくなることあるけど、会いに行くこと。
置き去りにされた動物たちに給餌に通うための個人の会を立ち上げました。
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山形から春が届く
もう何年前になるだろう。夫が通っていたディサービスの施設の隣の工場で生まれた子犬たちの貰い手探しをしたことがあった。
その一匹のニニを貰って下さったOさんhttp://blog.goo.ne.jp/s-117uuhpmfairy。山形から待ち合わせ場所の宇都宮駅まではるばる来て下さったのでした。ローマの休日のヘップバーンを彷彿とさせる眼差しの凛とした美しい方でした。
http://www1.odn.ne.jp/~kaze2005/maomaosiawase2005.html
そのOさんから、山形の春が届きました。感激!
あさつきは酢味噌あえ、ふきとのとうはてんぷらと「ふきのうとう味噌」に。Oさんが書いて下さっていたレシピの通りに美味しく作れました。
調子のりの私、「私って結構料理上手かも!」とひとりごちながら、この日の夕食にはお酒を少し呑みました。幸せでした♪
Oさん、本当にごちそうさま! ありがとうございます。
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国に問います3
2011年3月11日、東北地方に起きた大地震と津波で、福島原発が壊れ放射能が漏れだしました。
周知の通りいくつかの町の住民は避難を余儀なくされ、そのまま町は警戒区域となり、住民の帰宅はできなくなってしまいました。
野良たちは勿論、飼われていた犬や猫や兎や家畜たちは、誰もいなくなった町に置き去りにされました。
残された動物たちがどうなったか。
民間レスキューの方々の記録によると、繋がれていた犬や室内に閉じ込められていた猫は、四月を待たずして餓死や共食いで死に、やがて舎屋に入れられていた家畜たちも次々に死んでいったということです。
放されていた犬や猫は、餌も水もないなか、飼い主をさがして無人の町を彷徨い、ある時期まで必死に生きていながらも、ついに、飢えと乾き、不安と寂しさに多くが力尽き息絶えていったそうです。
田の畔や溝や道端に無残な骸が横たわっていたと。
その数、累々というしかないほどであったと。
いずれもそれら動物たちの死んだ姿は、生きようと懸命にあがいた跡を残していたということです。殆どは骨と皮のようになり、
首輪をつけていた犬や猫たちは、痩せ細ったためにその首輪が首から抜け、腹部にくいこんでいたり、たすきがけ状になって歩行も困難になっていたと見えるようであったといいます。
また保護した猫や犬は、排泄物は虫の脚などだけであったり、生米を食べていたらしく米の粒の激しい下痢が続いたそうです。
牛のなかには世話をする人間のいなくなったなか出産し、子牛を育てるには食べ物を食べ授乳しなくてはなりませんから、
空の餌箱を死に物狂いで口や頭でつつき、血だらけになった姿もあったそうです。
牛舎に繋がれ動けない牛が、そばの柱を懸命に齧り、歯型のついた細くぐらぐらになった柱の根元に
崩れ落ちた姿も見た方もおられるそうです。
帰宅の途に就いたレスキューの車を、どこまでもどこまでも追う猫や犬の姿も。
信号もつかなくなった深い闇に閉ざされた夜の町には、犬たちの如何にも人恋しい哀しげな遠吠えがいつまでもいつまでも響いていたと。
飼い主が通って餌を貰える犬の餌箱に近づこうとして、でも金網をどうすることもできず、
ついに金網の小さな穴に鼻面を懸命に入れそのまま身動きが取れなくなり、
息絶えていた犬もいたと。あとわずかでフードに届きそうなまま。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
これら死に至るまであるいは奇跡的に保護されるまでの動物たちの長い苦痛と失意と寂しさを思うと、哀れで哀れで言葉にならないどうしようもない烈しい痛みがこみ上げてきます。
国はなぜ、”動物も救う”と決断しなかったのでしょう。
決断すれば、その方向に知恵がわき方法も見つかったのではないでしょうか。義捐金も救出のために有効に使えたはずです。
何事も成就させるにはまず決断です。決断すればたいていのことは成就します。それが人間の英知でしょう。
国は、英知に挑むことなく、”動物は餓死でいい”と決めた。
このように言い切っては無礼だと承知です。ある程度は国も行政も動物救済を手掛けられたのはわかっていますから。
ですが、それらが中途半端であることは国、行政そのものが一番承知されていることでしょう。
あれだけの大規模の天災、原発事故という人災を受けて、本格的に取り組むなら、
動物愛護、共生の意識を根本からもつしっかりした指導者を立て、
そこから盤石の組織を永久的に作る必要があったでしょう。
そうした本格的な動物救済のスケールはなかった。
うるさい一部の国民の目くらましをしたいが程度の救済であった。
そのことに、動物救済と人間救済は同じ地平にあるはずと知る国民は、消えようのない傷を受け、未来永劫癒されることはないでしょう。
少なくとも私は、どう生きていったらいいか前が見えなくなるほどの失意と悲しみにおります。
国に問います。同じことを何度も何度も何度も問います。
これからも結局は”動物は餓死でいい”とされるのですか。まもなく、町は決して誰もが入れないような壁で囲み、完全閉鎖をするという噂は本当ですか?
その壁の中にまだまだ多くの動物が生きて残っていても、それを決行するのですか?
動物たちがそのような恐ろしい処罰を受ける、彼らはどんな罪を犯したのですか?
ただひたすらに無垢に、人間を愛し、癒し、あるいは人間のために食肉になり実験動物になり、
命も心も人間にくれる尊い存在、正しく言えば人間に全てを奪われつくして
尚人間を信じる無辜の存在であるだけではありませんか?
それに報いるどころかこれほどの過酷を強いて平然とする国、政治家、官僚の皆様、
あなた方はなにものですか?
置き去りにされた動物たちに給餌に通うための個人の会を立ち上げました。
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国に問います
自分で確かめたわけではないですが、いろいろな方のブログなどによりますと、牛に代表する家畜たちの扱いはそれはむごいものだそうですね。田だった土地に牛たちを追い込み囲い、そのまま環境を整えることもせず放置し、餌もやらず、雨が降ると、田だったそこは氷水のような冷たい泥水がたまり、牛たちは座ることも横たわることもできず立ち続けており、子牛は胸近くまでの凍りつく泥水に浸かったまま絶命していくと。
これらむごたらしい現状がブログを書いた方の創作や嘘や誇張だったらどんなにいいでしょう。
人間とかわらぬ心をもち、痛みも怖れも感じる命ある存在がこれほど凄惨な苦痛を長時間受けつづけ、おそらく悲痛な声で助けをもとめたでしょう、それでも放置をされ死んでいく、これが悪夢だったらどんなにいいでしょう。
でも創作でも嘘でも誇張でもないのだ、と私は感じます。勿論夢などではないことも。そして書いた方は、この牛たちの哀れに苦しむ壮絶な姿を目の当たりにして、どうしてやることもできず、己の死以上の辛さを受けられたでしょう。そして救ってやれなかった自分を生涯許せず、永遠に苦しまれるのだとも感じます。国や県が、『動物も救おう』と決めたら、その方向に知恵や力が働き救えたのに。救えたのに! 救えたのに! 救えたのに!
あなたがたは、こうした牛たちの苦しみと死を考えたことはありますか?
おそらく露ほどの痛ましさも思うことはないでしょう。
私はそのことに絶望します。私はこの絶望感を乗り越えることがなかなかできません。日が経つごとに苦しみは重くなります。
国に問います。
私はどうやって生きていったらいいでしょう。
ー2012/3/26記ー
警戒区域の動物たちの生きる方策を考えず、餓死・凍死という残酷な殺処分を、なぜし続けるのですか?
民間のレスキューをなぜ禁止するのですか?
警戒区域が完全封鎖措置をとられ、救出は絶望的になるという情報も流れていますが、それは本当ですか?
それら禁止の理由が放射能の拡散を防ぐためであるなら、警戒区域内に、動物たちが生きていく施設をつくり、民間の団体や個人の有志と協働で世話をしていく方策をとることはできないでしょうか。
それなら放射能の拡散も防げ、動物たちも生きていけるのではありませんか?
義援金でそれができるのではありませんか?
犬や猫や牛たちが、どんなむごたらしい死を迎えているかご存じですよね。
あまりに哀れです。
飼い主や仲間を想う気持ちも、恐怖や不安や悲しみや苦痛を受ける感覚も心も、私たち人間となんらかわらない存在を、これほどむごく苦しめ続けていく・・・いったい人間とは、政治とは何でしょう。
ー2012/2/14記ー
動物問題の私的事情=ある方への返信
動物指導センターに持ち込まれる猫たちの救済をして、57匹の猫たちを抱えておられる方からのメールへの返信です。
その方は私に協力を求められたのではなく、ただご自分の実状を書かれたに過ぎないのですが、経済的、世話の労力、ご家族や近隣との人間関係に、どんなに大変な思いをされているだろうと、辛くて痛くてならず、すぐに返信を打てませんでした。
私に経済能力、若さ、多数の猫の暮らしに最良の環境事情がふんだんにあって、「私も協力しましょう」と言ってあげられたらどんなにいいだろう、と胸がふさがれますが、下のような素っ気ない返信しか出来なかったです。(涙)
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私は自宅のそばに置いていかれる犬や猫をみかねて一緒に暮らすようになって30年近くになりますが、常に40匹の動物がおり、動物たちには何の罪のないことですが、捨て置いていく人間には言葉に尽くせぬ辛い思いがあります。
気がつくと私はもう70歳。さまざまなやりたいこと、期待されることがありましたのに、それらを無責任身勝手な人の泥足で踏みつぶされた、という無念、悲しみを抱いてきました。
もう、明日死んでもおかしくない年齢になり、今は、私が死んだあと、残った動物たちがどうなるのか・・・ということが心を占め、彼らを最悪の運命にしないことをひたすら願っています。
それにはもう一匹もあらたに受け入れることはしない、と固く決しています。
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この返信には書かなかったですが、私の暮らしの実状は、最近しばしば報道される、電気、ガスなどを止められ、餓死をされていた方々は、真実マジで明日の私、なのです。
捨てる人は気楽に捨てて行きます。
要介護4の認知症の夫を抱え、それでも毎日十数匹の犬の散歩をし、自分の必要なものを諦めて犬猫のフードにまわす暮らしに疲弊しきっている私に、「おたくの近くに置いとけば、みんな拾うわよ、って聞いたのでつれてきたの。一匹ふえるぐらいどってことないのね。生き甲斐なんでしょ」と言った人がいます。
まさかと思われるでしょうが、本当のことです。こういう人がどんなに多いか。
動物問題は、少数の人間にしかその核がわからないだけに、表面は公正で良質の正義感を持つ人と見える人でも、思わぬ低意識の姿を垣間見させる、いわば踏み絵のような役割をします。
同じ動物愛護の人でも、どこまで踏み込んでいるか、自分のものをどこまで投げ出しているか、の実体や自意識や思考傾向によって、理解の度合いの違い、温度の差が出てきます。場合によっては、その差を自覚しない動物愛護者たちこそ、全てを投げ出してしまった者の非力に落ちぶれた姿や、あがきに近い言動を見て、見下し痛めつける結果になることもあります。
私はそれらの全てを受けてきました。今も受けています。
・・・・・と言って、これは言い訳でも、自分は正しい、動物愛護はここまですべきだなど、そんな愚の骨頂を言いたいのではありません。
「命と心のある存在に生じる”問題””現実”を、正面から向き合い抱きとめると、これほど無残な結果をも背負わなければならないこともある」ということを言いたいのです。
これは動物問題に限ったことではない、とも。
もうノーガキはやめた。虚しい。
雨のしょぼ降る夕暮れ時の大蛙
昨日の夕暮れ時は雨がしょぼ降っていた。
私は車でいつものように猫たちにご飯配りに。
だが道はいつものようではなかった。
啓蟄を過ぎた雨の夕暮れ時は、蛙さんが道いっぱいにひょうひょうと散らばっている。
こういう時は小道は避け大きな道を選んで通る。小道では蛙さんを避けられないからだ。
左手は山、右手は畑になった道の真ん中に両手の拳を合わせたくらいの塊があった。
石だと思った塊が動いているように見えて、車を止める。
大きな蛙さんである。道の真ん中をのそのそしている。
これでは車に轢かれそうだな。
貧乏症の私は素通りが出来ず、車から降りてそばに寄ってみた。
両掌もの大きさである。
遠くから車のライトがこちらを照らしてきた。そしてぐんぐん近寄ってくる。
やっぱり避けないと危ない、と両手で掬いあげ、山側のほうのどこに置いたらいいかうろうろしていると、車はあっという間にそばにきた。
行きすぎるかと思った車は停車し、ライトをつけたまま人が降りてきた。熟年風の男性である。
その人は、「何か捨てようとしているんですか。捨てちゃいかんでしょ!」と咎め立てた調子の声である。
「捨てるんじゃないんです。どこに置いてやったらいいかと思って」と答えつつ、ライトの前に大蛙を見せた。
「ギャーっ!」
驚いたことにその男性は悲鳴をあげた。私もその悲鳴に驚いたのなんのって。
「こ、子猫でも捨てようとしてるかと思ったよ」
「子猫じゃないですよ」
「わ、わかったよ、見たんだから」
結局その男性もどこに大蛙を置いたらいいか考えてくださり、雑草のこんもりとある柔らかな土の平地に置いた。
問題はこの後である。
その人は、車に戻る前に、ちょっと言いよどんでから思いきったように私に訊いたのである。
「おくさん、間違ったら悪いんだけど、ほら、あのS地のSさんという人? 犬猫たくさん飼ってる」
「いえ、私、S地のSさんじゃありません。N(旧姓)さんです」と言ってさっさと離れた。
(なんか、違和感ある言い方した気がする・・・)と思ったが、そんなことより、うっかり、「そうです。おっしゃる通りの者です」なんて答えてごらんなさい、明日には絶対犬か猫を持ちこまれる。
今以上の数を私に飼えというのは「お前なんか死ね!」に等しいのです。ここは自分の知恵で避けるしかないのです。・・・でもどうも知恵者の対応とはほど遠かったような・・・と一日経った今。
≪別ブログより転載≫